渓流釣りにおける”キャッチ&イート”と”キャッチ&リリース”について
こんにちは。
この名前、もはや各種SNSで実名公表してるので使わなくてもいいんですが
なんかブログモードのスイッチが入る感じがするのでこのままいきますね。
さて、今回は真面目な内容になります。
釣り業界の永遠の課題とも言える
「釣った魚をキープするのか、リリースするのか」問題についてです。
先日Facebookにて
似たような内容について触れた記事がありまして
共感する点が多数あり、改めて考えさせられる内容でした。
長い間釣りをしてきた一釣り人として
これまでたくさんの釣り人と接してきた一人の渓流ガイドとして
思うところをまとめていきたいと思います。
本記事を読んでくださる方々にも
いろいろなご意見があると思います。
あくまで、一個人の感想程度に読んでいただければ嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
僕自身は”キャッチ&イート”賛成派(条件付き)
まず、大前提として
僕自身はキャッチ&イート賛成派(条件付き)です。
「自分で釣った魚を自分で食べる」
この経験は、釣りをした人にしか体験できない、非常に貴重な体験です。
やっぱり自分で釣った魚は
どんな高級料理よりも美味しいと思っています。
多少調理に失敗したって、多少見栄えが悪くたって、本当に美味しいです。
「結果が、釣果として手元に残る」
これは、釣りでしか味わえない魅力でしょう。
山菜採りなんかも、結果がモノとして残るわかりやすい例ですが
釣りに関しては、場所についても釣れるかはわからない(腕次第)ので
なおさら一匹の価値が高まりますよね。
釣りをする以上、この「食」という楽しみ方は切っても切れない魅力だと思います。
但し、釣り人全員が”キャッチ&イート”をするべきではない
しかしです。
もともと人気が高く、人口も多い釣り業界。
ましては昨今のコロナウイルス流行で、どんどん釣り人が増えていきます。
そこで、みんながみんな釣った魚を持ち帰ってしまったら
魚がいなくなってしまうのも当たり前です。
特にフィールドの規模や魚の生息域が限られる渓流において
釣り人全員が魚を持ち帰れば、おそらく一瞬で生態系は壊滅します。
「俺一人が持ち帰ったところで、別に何の影響もないでしょ」
と考えている人もいらっしゃるでしょう。
しかし、そう考える釣り人が仮に10人いたとして
一人が5匹持ち帰れば、合計50匹のイワナが抜かれる計算ですよね。
多少渓流をやられてる方ならわかると思いますが
一つの渓流から50匹のイワナがいなくなるって、相当な大ダメージです。
「実際はそんな事起きないでしょ。」
そう思っている方。
はっきり言いますが、至る所で現実に起きていますからね。
南会津町に来て、平日・休日問わずに渓流の姿を見てきましたが
上で挙げた数以上の魚が、あなたが考える以上のスパンで抜かれています。
そんな光景を見ていると、なんだかとても悲しい気持ちになります。
釣りのレベルが高い人ほど、キープする機会を減らすべきではないか
釣り人の皆さん。
あなたが人生で初めて魚を釣った時のことを覚えていますか。
魚がキラキラ光って見えて、心が躍ったあの瞬間を覚えていますか。
あの最高の瞬間があったから、今でも時間を見つけて家を飛び出し
使えるお金とにらめっこしながら、フィールドに向かっているんじゃないですか?
この仕掛けであっているのかもわからず、釣り糸の結び方もわからないけど、
フィールドに立って糸を垂れるだけで楽しかった時期が、みなさんにもあったはずです。
そんな素晴らしい体験を、これからの世代にも受け継いでいきたいと思いませんか?
僕はまだ23歳のクソガキですが、
あの素晴らしい釣りの経験を、一人でも多くの人に知ってもらいたいと思っています。
特に、これから釣りの世界に出会うかもしれない子供達に対して。
だからこそ、釣りのレベルが高くなるにつれて、
「食べる釣り」から「敬う釣り」にシフトしていくべきだと考えています。
釣りのレベルが高い人が、たくさん魚を釣るのは当たり前です。
同じ渓流でも
釣り経験が浅い人が0匹で、うまい人がツ抜けするなんてザラです。
表現があっているかわかりませんが
釣り初心者と、釣りがうまい人では、魚1匹の価値はまるで違うでしょう。
そんな、釣り経験が浅い人たちに、
キャッチ&イートを優先的に体験させてあげるべきだと、私は考えます。
釣った魚を食べることも、釣り人には必要な体験ではないか
たまに、魚を食べることに対し猛烈な抵抗をされる方がいらっしゃいます。
「魚がかわいそうだと思わないんですか?」
「私は絶対にリリースしますがね」
「そもそも釣りという行為が私は理解出来ません」
そんな方々の意見も理解出来ます。
しかし
実際に魚を食べてみる事で初めて
命の大切さや尊さを知り、それが当たり前の事ではないという事を理解出来ると思います。
体験もせずに浮かぶ論理ほど浅はかなものはないです。
生きている魚を自分の力で釣り、一つの命が営みを終える瞬間を見届け、ありがたく味わう。
この一連を経験して初めて
「私たち釣り人は、命に遊ばせてもらっている」
という事を理解出来ると思うんです。
だからこそ、私含め
釣り経験が豊富で、技術もある釣り人の方々が
これから釣りを始める方々にとっての「釣りの先生」として
命と向き合うこの趣味の本質を、説いていくべきだと考えます。
「昔はもっと魚がいたのにー」は、自然の影響だけじゃない
僕は、これまでたくさんの釣りをしてきました。
メバリング、アジング、ロックフィッシュ、ショアジギング、エギング、サーフ、ロックショア、渓流トラウト、レイクトラウト、バスなど・・・。
このいずれの釣りにおいても、必ず耳にするフレーズ。
「昔はもっと魚がいて、もっと釣れたんだけどなー」
これは確かにその通りです。
釣り歴12年の僕でさえも感じているレベルです。
この状況の大きな原因として、自然災害が挙げられます。
南会津町も例外ではありません。
以前に町を襲った豪雨の影響で、川には大水が流れ、山肌が崩壊し
本流にはたくさんの砂が流入。魚の住処が減ってしまいました。
しかし、原因は本当に自然災害だけでしょうか?
何千年、何万年という歴史を刻んできた自然環境。
昨今の異常気象なんかが影響しているのは大前提にあるとしても
もし、自然界の影響だけで魚の数が減っているなら
とっくの昔に魚類なんて絶滅しているはずです。
しかしながら
現代に至っても魚は水辺に生息し、力強く命を繋いでいます。
それでもなお、魚の個体数は減少しているという状況。
この状況を生んだ原因には、ほぼ間違いなく、釣り人の影響もあるのではないでしょうか。
まとめ
釣り具の進歩、釣り人口の増加、情報のグローバル化ー
魚よりも、釣り人の能力が高いのは当たり前の世の中です。
1980年代後半から始まった「リゾートブーム」
とりあえず、山を切り開き、レジャー施設を作りまくった時代。
そんな時期に作られた、ゴルフ場やらスキー場やらが荒廃し、
全国の地方に放置されている光景を、皆さん目にしてきたでしょう。
僕は、そんな将来が釣り業界にもくるのではないかと不安になる事があります。
今、世間には間違いなく釣りブームが到来しています。
これからもっと釣り人口が増え、業界は賑わいを迎えることでしょう。
だからこそ
元来釣りを愛し、素晴らしさに魅せられた私たち釣り人は
今一度立ち止まり、「魚釣り」という趣味の本質を見直す時期なのではないでしょうか。
あんなに最高な釣りの魅力を
これからの時代にも残していくために
私自身も、釣りへの向き合い方を模索していこうと思います。
長くなりました。
この記事を読んで
少しでも、釣りについて考える人が増えれば幸いです。
ありがとうございました。